正しく疑う力
リダのニュースは流れないけれど、Twitterではいろいろな意見が飛び交っています。
同じ人を応援することには変わりはないけれど、どんな視点で何を見るかによってまったく違うものが見えてきます。
自分が見てきたリダの姿と語られているリダの姿が違っている…
リダに対する自分の考えと周囲の考えが違っているようで口に出せない…
…と、鍵コメでいただくことがよくあります。
いろいろな意見があっていいと思います。
それは当然のことだから。
どれが正解かなんてわからないから。
突き詰めて行けば、答えはリダの中にだけに存在するのかもしれないし。
その答えがどんなものであるかはわかりませんが、
私はリダのファンだから、リダが決めたことを支持します。
Twitterでフォローしている方の言葉が印象的だったのでお借りしてきました。
韓国在住の日本の方です。
ブログでは韓国での暮らしの話題を書いていらっしゃいます。
⇒ゆうきの韓国スケッチブログ
「正しく疑う力」
わかるようでわからない難しい表現ですが、私はこんなふうに理解しました。
自分の目で見たこと、心で感じたこと、それを信じること。
自分の意志を持ち、そのうえで判断すること。
相手が違う意見であっても、向いている方向が同じであれば、まず受け止めること。
本当に疑うべきものは何か、それを知ろうとすること。
要するに、自分の目で見て心で感じたリダを信じるということです。
リダを好きになった自分を信じてほしいということです。
大袈裟に考えると重くなってしまいますね。
いつも眉間に皺が寄っていたら疲れちゃいますよね。
考えこまずに気楽に応援するのもいいですね。
リダが不在の間はその気持ちを持ち続けなければならないんですから。
大切なのはリダのファンでいることです。
だからいろいろなファンがいていいと思います。
みんな違ってみんないい。
みんなリダを愛するHENECIANだから。
2015-03-30(Mon)