GEMINI BANDのリダ
鍵コメさんから質問をいただきました。
「リダはいつからダンスをしなくなったのでしょうか?」と。
それはリダのバンドスタイルでのステージの幕開けでもあります。
日本にはその環境が整っていたということ、年齢に関係なくバンドが存在しますから。
リダのやりたかったバンドスタイルが受け入れられやすかったのでした。
スタート時は韓国のヘビメタバンド DOWNHELLがコラボレーションバンドとして、ツアーに参加しました。
ご存知の通り、ベースのソヒョンさんとは長いお付き合いになりました。
忘れられないリダの言葉。
「その事があってこのJapan Tourができたじゃないですか。
こうして皆さんと会えたじゃないですか。」
その事とは『都市征伐』の製作中止です。
世の中に送り出すことができなかったペク・ミル。
リダがつらく苦しい日々を送ったことは想像に難くありません。
その大きな代償と引き替えに、リダは日本におけるバンド活動を手にしたと言えます。
UNLIMITEDの心に残るリダの言葉を集めた動画です。
初めての方は是非、久しぶりの方はあの頃を思い出してご覧になってください。
⇒”UNLIMITED” Kim Hyun Joong、ここから始めよう…
過去の動画を検索していたら、UNLIMITEDで手探りでコンサートのスタイルを作り上げようとしているリダの姿がありました。
ここで Always and Foreverに触れて歌っていたんですね^ ^
それからロッテファンミで初披露の時にキム・テイさんがコメントしたことをLet me be the one の紹介で使って笑いを取っています^^
credit:khjcmf
INNER CORE 大阪オリックスでのリダはこんな風に語っていました。
「今、次のアルバムの構想を練っているところです。これからは死ぬまで休むつもりはありません。
少なくても日本では1年に2回はアルバムを出したいです。
これからも成熟していくキム・ヒョンジュンの音楽を聴いていただきたいと思います。
どんな風に変わっていくのか、どんな風に深みを増していくのか、そして歳を重ねる毎に何を語ろうとしているのか、そういったところを皆さんに聴いてもらえればうれしいです。」
リダは歌手を続けて行くと決意表明をしたんですね。
歌うことの表現者として生きて行くことを。
一度死ぬ想いをした人です。
新しい人生はきっと自分のやりたいことをやろうと思ったのではないかと想像します。
それが自分にとって、どれほど大切なものであるかということがわかったから。
失くしたものを取り戻しつつある今、支えてくれた人たちのためにも歌い続けることが自分の使命だと感じたのではないでしょうか。
今、リダは歌うことが楽しくて仕方がないのでしょう。
ステージに立つことの幸せを感じていることでしょう。
良き理解者である仲間とともに。
お気づきになりましたか?
最後の挨拶の時に、リダが言う言葉を。
Kim Hyun Joongという名前を冠したJapan Tourであるのにもかかわらず、
リダは決まってこう言うんです。
「GEMINI BANDでした」
2017-06-16(Fri)